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Paris Yoga Circle

パリヨガサークル

Yoga columnヨガコラム

2019.04.17

ヨガって?

 初めまして、こんにちは。
 
 世界中で愛好者が増え続けているヨガ。パリに住む皆さまにも親しんでもらえるよう、ヨガとそのポーズの連載を始めます(第1週と第3週の木曜日発行)。どうぞよろしくお願いします。
 
 さて第一回目のテーマは「ヨガって?」です。
 
 今日運動の一つとして普及するヨガは一体いつどこでどのように始まったのでしょうか。古代インド社会では「ダルマ(宇宙の法)」が行為の規範として重視されました。そして人々がそれに基づき心身を鍛え調整するために始めた修行が今日のヨガの発端です。紀元前二千年のモヘンジョダロ遺跡には座禅を組むシヴァ神の姿が刻まれていて、紀元前350年の古代ウパニシャッド(「近座」を意味するウパニシャッド、転じて「秘教」の意味を持ち、書物ウパニシャッドは宇宙万有の一元を唱える哲学書)には「ヨガ」の最古の説明が見い出せます。研究者によっては具体的な証拠を欠くと批判する人もいますが、現存する古い遺跡や遺物はヨガが古代インド社会ではるか遠い昔に始まり、常に存在してきたことを思わせます。そして原初のヨガは苦行に近いものでした。   
 さて古代インド社会は紀元前にアーリア人が侵入してヴェーダ時代を迎えます(紀元前1500年から紀元前500年頃。「知識」を意味するヴェーダはインド最古の文献で、バラモン教やヒンズー教の祭祀に関する語句や文章を集録した聖典。アーリア人の自然崇拝の伝承がうかがえる)。その時代になると、聖典の編纂を通して「ダルマ(宇宙の法)」や神々についての概念がまとめられていきます。ヒンズー教や仏教等が確立していく(注:仏教の始まりは紀元前6世紀)と、苦行だった原初ヨガは神々に近く生きるための手段として、新しい意味合いを持ち始めます。釈迦牟尼もヨガを学んでいました。1-5世紀シャドダルシャナ(六派哲学、ヒンズー教の正統バラモンが確立したインド古典正統哲学の六派)は仏教やジャイナ教に対抗し様々な経典をまとめ、見解の違いはあれ、共通の目的を持っていました。それはサムサーラ(生命の輪廻)を超越しモクシャ(解脱)に至ることでした。生命の輪廻とは生ある者が迷妄に満ちた生死を絶え間なく繰り返すこと、そして解脱は縛りから離れて自由になる、悩みや迷いなどの束縛から解き放たれ自由、悟りの境地に達することを意味します。六派のうちヨーガ派とサーンキャ派は解脱を達成するにはヨガが必須な手段であると主張し、ヨガの理論や実践をよりよく体系化していきました。ヤジュナヴァルキャスムルティ(Yajnavalkya Smrti)はヨガは体を健康にし、それによって心の平和を保つことができるシステムだと初めて定義づけました。またパタンジャリ(Patanjali)は「ヨガ・スートラ」を著し、ヨガを初めて専門的に体系化した教典を編修しました。
 さて私たちが普段「ヨガ」と口にする言葉ですが、サンスクリット語で正しくは「ヨーガ」と発音されます。「ヨーガ」は「馬に軛(くびき)をつける」「馬と馬車を繋ぐ」「結合する」「和合する」といった意味を持つ動詞Yuj(ユジュ)に派生する名詞で、その言葉自体には行法としてのヨーガを指す用例はありません。御者が馬を馬車につなぎ、その馬を上手に制御しながら馬車に乗った人物を無事に目的地へ到着させるように、「ヨーガ」は先生の教えのもと、体の感覚器官や心をコントロールする技術や体験を身につけ、解脱三昧の境地に導いていきます。「結合する」という言葉通り、体、心と魂が結びつくことで私たちは統一された自分自身を見つけ、自己実現に向かいます。その道のりはとても長く、様々な道標をたどり、異なる経路を通って進んでいきます。
 
 今回はその道標の出発点とも言える「ヨガ・スートラ」を通し、ヨーガの考え方をご紹介させていただきます。
   
 「ヨガ・スートラ」(スートラ=経典)の作者ですが、一般的にはパタンジャリと言われます。インドの文化には輪廻思想に基づき化身、神の生まれ変わりという考え方があり、それによるとパタンジャリは難陀竜王(歓喜を意味する難陀Anandaは水を主として竜族の八大王に属し、仏法を守護する。インドではナーガという半身半蛇の形をしていたが、中国や日本では龍の形になった)の化身です。その母Gonikaは未婚の禁欲主義的ヨーギーニ、女性のヨーガ行者で、彼女は想像を絶する知識と智慧を持っていました。彼女はそれを授けるにふさわしい生徒を見つけることができず、ある日手に水を汲み、神に向かい祈りました。「私の知識と智慧はあなたにいただいたものですから、今それをあなたにお返しいたします」と。そして目を開けてみたら手の中に何かが舞い降りてきて、それがなんとパタンジャリだったということです。その伝説の如く、パタンジャリという名はパタ(Pata)が「落ちる」、アンジャリ(Anjari)が「(手をあわせた)祈りのとき」を意味します(インドにはこのような不可思議な伝説物語が数限りなく存在します)。パタンジャリは大文法家でしたが、同時にアーユルベーダ(インドの伝統医学)の医師であったという説もあります。アーユルベーダの有名な教典「チャラカサンヒター」Charaka Samhitaの作者パタンジャリが「ヨガ・スートラ」の作者パタンジャリと同人物であるかどうか、また「ヨガ・スートラ」の作者が大文法家パタンジャリだったのかについては意見が分かれています。というのも「ヨガ・スートラ」は第一章から第三章までが紀元450年以降、第四章が紀元540年頃に成立していて、同じパタンジャリが一人ですべて書き上げたとは思いにくいからです。大文法家パタンジャリは紀元2世紀頃に生存し、古い部分を書いて、その後他の部分が加えられたのでは、という考え方が一般的です。いずれにせよ、「ヨガ・スートラ」の時期や作者は今日でも特定できずにいます。


 さて「ヨガ・スートラ」は全部で195節あり、各章はこんな感じです。
第一章 Samadhi Pada:「ヨーガの定義」を記した章
(サマーディ=三昧、三摩地、深い瞑想の結果心が統一され静かでいる状態、パーダ=章)
第二章 Sadhana Pada:「ヨーガの修行、実践」を記した章
(サーダナ=修行、実習、実践、完成)
第三章Vibhuti Pada:「ヨーガを通して得られるパワー」を記した章(ヴィブッティ=超自然力)
第四章Kaivalya Pada:「ヨーガの転生」を記した章
(カイヴァリャ=絶対、無限の体験)
 
 それでは「ヨガ・スートラ」から第一章からいくつか節を抜粋します。
 
  • yogaḥ citta-vṛtti-nirodhaḥ ヨーガハ/チッタ/ブリッティ/ニローダハ (I-2)
    ヨーガとは、心の作用(動き)が止滅した状態のことである。
  • abhyāsa-vairāgyābhyāṃ tat-nirodhaḥ アビヤーサ/ヴァイラーギャビヤーム/タンニローダハ (I-12)
    アビヤーサ(努力によるたゆみない修練)とヴァイラーギャ(ものごとに執着しないこと、離欲)、その二者が心の作用を止滅する。
  • mṛdu-madhya-adhimātratvāt-tataḥ api viśeṣaḥ ムリドゥマディヤー/アディマートラットヴァート/タトービ/ヴィシェーシャハ (I-22)
    成功のために要する時間はその修練が穏和であるか、中位であるか、非常に熱烈であるかによって異なる。
  • vyādhi-styāna-saṃśaya-pramāda-ālasya-avirati-bhrānti-darśana-alabdha-bhūmikatva-anavasthitatvāni citta-vikṣepāḥ te-antarāyāḥ
    ヴィヤーディ/スッティヤーナ/サンシャヤ/プラマーダ/アーラスヤ/アヴィラティ/プラーンティダルシャナ/アラブダブーミカトヴァ/アナワスティタットヴァーニ/チッタヴィクシェーパハ/テー/アンタラーヤーハ (I-30)
    病気、無気力、猜疑、散漫、怠惰、自制心のなさ、錯覚、不安定、移り気—これらの心の散動がその(成功)の障害である。
  • duḥkha-daurmanasya-aṅgam-ejayatva-śvāsa-praśvāsāḥ vikṣepa-sahabhuvaḥ 
    ドゥフカ/ダウルマナスヤ/アンガメージャヤットヴァ/シャワーサプランシュワーサーハ/ヴィクシェーバ/サハブヴァハ (I-31)
    悲しみ、憂鬱、不安定な体、不規則な呼吸は心の散動の兆候である。
  • maitrī-karuṇā-muditā-upekṣānāṃ sukha-duḥkha-puṇya-apuṇya-viṣayāṇāṃ bhāvanātaḥ citta-prasādanam
    マイトリーカルナー/ムディトーペクシャーナーム/スカドゥフカ/プニャープンニャヴィシャヤーナーム/バーヴァナータハ/チッタプラサーダナム  (I-33)
    他の幸福を喜び(慈)不幸を憐れみ(悲)、他の有徳を欣び(喜)不徳を捨てる(捨)態度を培うことによって、心は乱れなき澄清を保つ。
  • tatra śabda-artha-jñāna-vikalpaiḥ saṃkīrṇā savitarkā samāpattiḥ
    クシーナヴリッティヘ/アヴィジャータスエーヴァ/マネヘ/グラヒートリ/グラハナ/グラーヒェーシュ/タッスタ/タダンジャーナター/サマーパッティヒ (I-42)
    自然の透明な水晶が傍に置かれた物の色や形をとるように、作用が完全に衰微したヨーギー(ヨガ行者)の心は澄明、静然となって辺りのものをそのまま、歪むことなく映し、知るもの、知られるものと知との区別がない状態に達する。この瞑想の極点がサマーディ(三昧)である。
 
 今回は少し硬い話になってしまいすみません。今回と次回(5月第4週木曜日)「ヨガ・スートラ」第二章の後はもう少し親しみやすいトピックになりますので、それまでもう少しご辛抱くださいませ。また各月第1週はポーズのご紹介をさせていただきますので、そちらもどうぞお見逃しなく。最後までご閲読ありがとうございました。OMシャンティ。
 

CONTRIBUTOR

カズ

東京出身、津田塾大学国際関係学科卒業。アメリカ大手広告代理店に10年以上勤務した後独立、2002年から海外在住、2008〜2014年上海でベーガンカフェ、ヨガスタジオを経営。2012年全米ヨガアライアンス認定200時間チィーチャートレーニングを終え、ヨガの指導を始める。2015年からパリ在住。2017年よりCentre de Yoga Iyengar de Paris S. Faeq Biriaにてアイアンガーヨガ認定指導員トレーニングを受講する一方、Abhijata Iyengar, David Meloni, Manouso Manos, RayaUma Detta, Stéphane Lalo, Nivedita Joshi等世界最高峰講師陣の集中講座で修習。
2019年春パリヨガサークルを開始。現在15区、16区で週5回指導に当たる。
全米ヨガアライアンス認定ヨガインストラクター、インドケララグルクルインスティチュート認定アーユルベーダセラピスト。

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