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バラ色の街トゥールーズへようこそ!建築から見る街の魅力

赤レンガと白のコントラストが美しいトゥールーズ市庁舎
赤レンガと白のコントラストが美しいトゥールーズ市庁舎

 フランスといえば、首都のパリParisをまずは思い浮かべるだろう。しかし、フランスには魅力的な地方都市がたくさんある。今回は、南西フランスに位置するトゥールーズ Toulouseを取り上げよう。トゥールーズは、美しいバラ色の街、世界遺産のサン・セルナン大聖堂  basilique Saint-Sernin、ガロンヌ川 Garonneなど歴史・文化・地理的要素の魅力だけでなく、エアバスAirbusの本社があり航空・宇宙産業が進んでいたり、太陽の恵を受けられる気候であったりと、たくさんの魅力をもつことから、多くのフランス人が移住を夢見る街と言われているほどだ。今回は、そんな多くの魅力があるトゥールーズについて、建築視点から、厳選した4つの観光名所をご紹介する。


バラ色の街・トゥールーズ

 フランス南西部に位置するトゥールーズは、赤レンガの建物で街が形成されており、la Ville rose、日本語で「バラ色の街」と呼ばれているほど美しい街だ。パリ、リヨン、マルセイユに続く、フランス第4の大都市であり、近年更に人口が増え続けている。
 なぜトゥールーズは赤レンガの建物が多いのだろうか。その秘密は、この土地で豊富に採れる赤粘土にある。ローマ人は、この赤粘土をレンガや瓦に使い、街をピンク色に染めた。
 トゥールーズの街並みを歩くと、ただバラ色で美しいだけでなく、他の赤レンガの街並みとどこか違う美しさがあると感じると思う。その秘密は、トゥールーズのレンガのサイズにあると私は思う。日本の一般的なレンガのサイズ(JIS規格)は、長さ21センチ×幅10センチ×厚さ6センチ(比率4:2:1)に対して、トゥールーズのレンガは、長さ42センチ×幅28センチ×厚さ5センチ(比率8:6:1)というユニークなサイズでできているのだ。トゥールーズのレンガが、横幅が長く平たい特徴的なモジュールであることが、美しい街並みのひとつのエッセンスになっているのではないだろうか。

 このように、トゥールーズは、フランスの他の街では見られないバラ色の街並みを堪能することができるのだ。


トゥールーズに来たら絶対に訪ねてほしい トゥールーズ市庁舎・キャピトル広場

 トゥールーズといえば、「キャピトル広場 place du Capitole 」と、その広場にそびえ立つ壮大な赤レンガ造りの「トゥールーズ市庁舎 Capitole」で、その美しさは市民の誇りでもある。

 この市庁舎、キャピトル広場側の顔は、赤レンガと白の石灰岩でつくられ大変美しいファサードだ。このファサードだけ見ると、ひとつの大きな建物に見えるが、地図を見ていただくとわかるとおり、実は増築改修されて今の姿に至る。というのも、トゥールーズ市庁舎の歴史は12世紀から始まるからだ。当時の建物様式は古典主義だが、時代ごとに改修され何世紀もかけて徐々に現在の形になった。現在の姿は、18世紀初頭、画家であり建築家であったギヨーム・カンマスによって手がけられ、新古典主義の壮大なファサードとなった。
 また、夜やイベント時は、建物がライトアップされ、昼間とは少し変わった表情を見ることができるのでお勧めだ。

 内部は、ファサードの壮麗さとは異なり、宮殿のような豪華絢爛な装飾と、トゥールーズの芸術家たちの絵画を楽しむことができる。そんな豪華な市庁舎は、一般に開放されており、誰でも自由に無料で入ることができる。
 見どころは、入口を入り大階段を上がったところにある「サル・ド・イリュストレ salle des Illustres」という大広間だ。19世紀後半に建てられ、長さ60メートル、幅6メートル、高さ9メートルの空間は、金メッキの細かい装飾と大理石で内装が施されており、大変煌びやかだ。そこに、巨大な壁画、天井画と彫刻が並んでいる。この絵画・彫刻は、当時のトゥールーズの街の重要な生活の場面や人が表現されている。
 ちなみに、トゥールーズ市で結婚するカップルは、この豪華な大広間で、結婚宣言をすることが義務付けられている。なんて贅沢なのだろうか。

 この市庁舎、豪華なオペラハウスも併設されており、バレエ、オペラ、コンサートなど芸術を楽しむことができる。

キャピトル広場アーケード上部の絵画
キャピトル広場アーケード上部の絵画

 この豪華な市庁舎の前に広がっている広場が、キャピトル広場だ。17世紀末、古典的な都市計画によって、都市に広大な広場を設置しようというプラス・ロワイヤルという名のプロジェクトから始まった。それから19世紀前半に、都市建築家ジャック=パスカル・ヴィレバンの設計により、現在の広場の姿になった。
 この広場にはアーケードがあり、上を見上げると、カラフルで流麗なタッチの絵画やイラストで知られる画家レイモンド・モレッティの絵がいくつか飾られている。広場の美しさに見とれて、この絵画のアーケードを見るのを忘れないでほしい。この絵画は、トゥールーズ出身の有名人・歴史的な出来事や街の名物などが描かれているので、訪れた際には何が描かれているか探してみてもらいたい。
 また、キャピトル広場の中心には、同じく画家レイモンドがデザインしたオクシタン十字架のモニュメントがある。


トゥールーズの宮殿?!-アセザ館

異なる様式が目を引く、アセザ館のファサード。(編集部撮影)

 キャピトル広場から徒歩10分のところに、アセザ館 hôtel d’Assézatという宮殿建築がある。16世紀のパステル(青色染料の元になったアブラナ科の植物)商人であるピエール・アセザによって建てられ、現在はバンベルグ財団美術館が併設されており、15世紀から20世紀初頭までの美術品が展示されている。
 なぜパステル商人が、宮殿建築を建てたの? と疑問に思うことだろう。それは、トゥールーズがパステルブルー産業で栄えていたことに関係している。15世紀、繊維産業が発達する中、パステル色(柔らかい青色)の染料は少なく、大変貴重なものだった。そのような状況の中、気候と土質の点から、トゥールーズの東側ロラゲ地方 Lauragaisで、パステルという青く染められる植物をたくさん生産できたため、トゥールーズのパステル商人が大金持ちになり、宮殿のような豪邸を建てたのだ。この染料は、青い金とも呼ばれていた。

 このアセザ館、中庭の精巧な装飾などが、フランス古典主義の最初の現れとして、南仏のルネサンス宮殿建築の傑作例といわれている。16世紀半ばに、当時トゥールーズ最大のルネサンス建築家だったニコラ・バシュリエによって設計された。
 見どころは、建物のファサードだ。3階建てであるこの建物は、階によってファサードの柱様式が違う。1階部分はドリス式で、ギリシャのパルテノン神殿などで用いられており、柱頭部の装飾はほとんどなく、柱が太く厳かで重々しいイメージだ。2階はイオニア式で、柱頭部が渦巻模様の装飾があり優雅なイメージをもつ。3階はコリント式で、柱頭部がアカンサスの葉や蔓を模した装飾がされており華麗だ。このように外装に3つの様式が用いられているのは、コロッセオなどの古典的な大型建築物からインスピレーションを得ているのだそう。
 また、エントランスのアーチ型の門も、力強さと繊細さが混ざった洗練されたデザインがなされている。門のアーチは、小さなドットが装飾された石が突起してリズミカルに並んでいる一方で、上部の窓はイオニア式の渦巻模様で繊細な装飾が施されている。


美しい世界遺産 ミディ運河

運河にペニッシュが並ぶ光景も、トゥールーズならでは。(編集部撮影)

 フランスの世界遺産である「ミディ運河 canal du Midi」は、トゥールーズと地中海を結ぶ、ヨーロッパで最も古い運河だ。19世紀に鉄道に取って代わられるまでは、大事な大量輸送ルートであり、フランス経済に大きな利益をもたらしたと言われている。実は、ミディ運河が建設される前までは、大西洋岸から地中海沿岸に貨物を輸送するためにスペインの南側を回らなければならなかった。航路を約3,000 km短縮でき、かつジブラルタル海峡の通行税をスペインに払わなくてよくなることから、当時、国王ルイ14世により国家プロジェクトとして認められて進められたそうだ。ボルドーなど南西フランスのワインの生産が活発になったのも、ミディ運河の功績といっても過言ではない。

 当時は、ペニッシュと呼ばれる平底船を、馬が引っ張ることで物を運んでいた。そのため、運河沿いには馬が走るための道がある。現在は、その道が散歩道となり、多くの人の憩いの場となっているのだ。また、運河沿いにサイクリングコースも整備されており、週末になるとサイクリングを楽しむ人もよく見かける。
 運河の両脇に植えられているプラタナス並木とペニッシュがつくりあげる景観は、絵画のように美しい。ぜひトゥールーズ観光の際は、運河沿いの散歩または、レンタサイクルで颯爽に世界遺産を楽しんでいただきたい。
 ちなみに、現在、運河に浮かんでいるペニッシュは、改造して住居にしていたり、レストランやイベントスペースに使われていたりする。

 今回ご紹介したのは、トゥールーズのほんの一部だけであって、まだまだ魅力はたくさんある。ぜひ、実際に足を運んで、南西フランス・トゥールーズの美しさを目で見ていただきたい。

この記事の執筆者

コロデル あい COLLODEL Ai

トゥールーズ在住・千葉県出身。日本の一級建築士。たまたま出会った現在の旦那が、南西フランス出身のフランス人であったことをきっかけに、南西フランスの暮らしの魅力を知る。東京でサラリーマンをしていたが、COVID-19をきっかけに今後の働き方や暮らし方を見つめ直し、渡仏を決定。現在は、仏語を学びながら建築の仕事を続けている。

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